2019年振り返り

今年のゲーム振り返り

ドハマリしたタイトルは特になかった。

今年発売のものですぐ思い出せるのは、『バイオRE2』『SEKIRO』『(ネルケ・ルルア・ライザ)のアトリエ』『デス・ストランディング』あたり。

過去作を遊ぶことが多かった。『Borderlands』『Darksouls』『Hitman』あたりはシリーズでガッツリ遊んだと思う。

オンゲは『Overwatch』『ApexLegend』『RainbowSixSiege』あたりに手を出す程度。『FF14』は気づいたら止めてたが、またはじめたい。

良くないのは、あまりゲームを掘ることをしていないこと。インディーにしろ、新ジャンルにしろ、冒険できていない。

 

ファイナルファンタジー』シリーズを1から全部やろうとした

最近ゲームをうまくなろうとしたり、やり込んだりしてないなー、と思って修行的なことをやりたくなった。そしてFFシリーズを初代からやろうと唐突に思い立って、9の途中で止まってしまった。

1からやるとシリーズの変遷がわかるし、比較されがちなドラクエシリーズが4、5あたりで試行錯誤していたのはFFの影響もあったのかな、といろいろ考えた。FF6、7は本当に気に入ったし、他のも時間の無駄みたいな感覚はなかった。やれてよかった(終わってない)。

もっと小出しに日記を書くべきだった。

 

シャニマス』を遊んでいる

ファイナルファンタジーシリーズ』を遊ぶ過程で初めてスマホゲーに触れ、その流れで一番やってるのが『シャニマス(アイドルマスター シャイニーカラーズ)』だ。10月中旬から始めた。

最初から「これ9割運ゲーだな!」という感覚があったんだけど、不思議のダンジョン系の「大量の運要素の中でどうプレイしていくか」という意味で、結構ゲームとして遊べている。そして、「TrueEnd」という一応ゲームの終わりを初めて見るまで約2ヶ月かかったのがまさにゲームっぽかった。ほぼ無課金(500円くらい払いました)で、それなしでも3、4ヶ月あればたいてい辿り着けるだろうなー、という印象なので、結構バランス調整がいい気がする。

キャラゲーとしても楽しくて、アルストロメリアは最初から良かったけど、放課後クライマックスガールズの知れば知るほど魅力が伝わってくる感じがとても良い。ストレイライトも好きだけど、もっとシナリオを読まないとわからない。

 

『ランス』シリーズ入門用は10が至高

ランス10、7、8、01、03、6という順番で遊んだ。どれも面白かった。残り9はやるけど他はわかんない。

ただ、最初に10をプレイしていなかったらここまでシリーズを好きに慣れていなかったと思う。10はランスシリーズの世界観や用語を解説するパートが用意されているが、それよりも少々わからなくても躓かないですむくらい勢いがあるのが入門用に良い。例えばダークランスの話は、10はすんなり入ってきたけど、6や8のほうが「前作を知らないからわからない」となった。あと678あたりはシステムやバランス調整が古い。

もっと小出しに日記を書くべきだった(2回め)。

 

 

ゲーム日記書いてない

下書きにはそれなりにある。上のシリーズものはもちろん、攻略情報が不十分なインディゲーの記事を書いて途中で止めたりしている。最近は単なる感想とかより、役に立つことを書きたい、って気持ちがある。結果、両方書いてない。

ゲームから派生させるのが日記じゃないのかもしれない。Podcastとか、配信とか、あるいは翻訳とか製作が楽しいのかもしれない。自分は連綿とゲーム好きだったわけではないので、ここ数年ガッツリ遊んだ結果次に行きたくなってるのかなー、とか思う。

 

 

ゲーム以外の振り返り

漫画『ワンダンス』が面白い

この作者はコンプレックスを描くのがとてもうまい。何かズレを感じる、不満がある、恥ずかしい、自信がない。そういった感情を腹に抱えるとどういう人になるのか、そういう人は周囲とどうやっていくのか、という点の表現が面白い。あと間の取り方がめっちゃ好き。どこまで続くのかはわからないが、この作者の描いたものはずっと読みたい。前作までもこの感じはあったが、『ワンダンス』はちゃんと面白いので最高。

音楽やダンスの知識や経験が全然ない人だと、この作品のリアリティが伝わらない気がする。でも、そういうことを描いた作品と言えるのかもしれない。

 

個人の感想を読みたい

RSSリーダをあまり見なくなった結果、個人ブログをほとんど読まなくなってしまった。最近はSNSや動画配信はもちろんのこと、一周回ってNoteなどのブログやPodcastなどで自分の話をする人が増えているように感じる。もっと掘って、自分好みの活動者を見つけて楽しみたい。

自分はずっと続いてる趣味みたいなものはないんだけど、この「配信やラジオで人の話を聞く」という趣味は20年近くずっと続いている。

 

Vtuberは脱臭する

Youtuberとか配信者とかテレビとかアイドルとか、そういうものに付随するイメージを一度脱臭した上で、視聴者がまっさらな状態で魅力を見つけられるのがVtuberだ。

にじさんじが興味深いのは、「田舎のコミュニティ」を脱臭したところだと思う。ネットだと田舎といえば「すぐ噂話が広がってギスギス」みたいな悪いイメージが多い。でも、なぜ田舎の人が噂話をするかというとそれを好きな人が多いからだ。ゲームをやってもにじさんじライバーの名前が大量に挙がり、雑談してもライバーの噂話が頻出する。上京した田舎者が空気読まずに地元の話ばかりするのと同じで、にじさんじファンは関係ない場でもライバーの名前を出すからすぐわかる。田舎のギスギスした寄り合いみたいなコラボとか、田舎の金持ってる老人目当ての都会モンみたいなのが散見されるのが現状、だと思う(最近ほとんど見てない)。こう書くと悪口にしか見えないけど、そこが肝という話です。

Vtuberは脱臭するという機能を持っているが、その器の上にできるイメージには、同様に好き嫌いのある「臭い」がつく。その結果、Vtuberというものがかなり臭いのするものになったため、最近はVtuberとか関係なく見たり掘ったりしてる。

 

 

終わりに

今年はダメだった!

ダメなので色々手を出したけど、あんまり熱中できなかった。うーん。

身体を休める、という目的は達成したと思うので、リブートしたい。

『デス・ストランディング』クリア後感想

 

「いいね」を稼ぐ仕事ゲーム

『デス・ストランディング』は作業ゲーでもお使いゲーでもなく、仕事ゲーだと思う。

淡々と連打してプレイすれば失敗するし、ただクエストを進めるためにものを運ぶゲームではない。行程を見て事前準備をして、悪路や危険区域を避けたり乗り越えたりしながらものを運び、報酬をもらうゲームだ。

特徴的なのは、この世界の報酬とは通貨や物資ではなく「いいね」である点だ。

 

お金といいねの違いは、有限か無限かにある。

お金は限られているため、自分がお金を動かす取引するときに価値を判断する必要がある。正当な対価を得られないなら1円も払わないのが「賢い人」だし、価値のないものにお金を使うのは「バカなやつ」として扱われる。だからみんな小利口になって、損することを非常に恐れている。

でも、いいねは違う。

軽い気持ちで「いいね」というポジティブな感情を相手に送ることができるし、それも1つではなく自分がクリックした数だけ相手に送ることができる。とても助かったから30いいね送ることもできるが、たまたま手が空いていたから50いいね送ったのかもしれないし、逆にありがとうという気持ちはあっても忙しくて1いいねしか送れないかもしれない。

そんなフワフワした数字はお金と違って価値を表していない。しかし大切なのは、送った自分がどう感じるかという部分だ。その1いいねが正当なものであるかは関係なく、いいねを送りたいから、好きなだけ送ることができる。

 

つまり、お金は稼ぐことに価値があるが、いいねは送ることに価値がある。

 

誰かが建ててくれた橋で川を渡ることができた。一緒に物資を集めてつくった国道を走る。その誰かのおかげで、自分が仕事を終わらせることができた。誰かに褒められるためにやったわけじゃない。しかし、ものを届けると「ありがとう」と言って褒めてくれる人がいる。自分が建てたいから建てた橋や発電機を利用して、いいねを送ってくれた人がいる。

たったそれだけのことではあるが、その積み重ねで土地が豊かになっていくのがハッキリと見える。

この心が満たされる感覚は、デス・ストランディング特有のものだった。

 

 

 

悪人に対しても品行方正を求められる現代

「ミュール」という敵がでてくる。彼らは元は主人公と同じ配送員だったが、いいねが欲しくてたまらないがために中毒になってしまい、「人の荷物を奪ってまでいいねを求める」というギャング集団のような存在だ。配送をしているうちに彼らの集落に近寄ってしまうと、彼らに襲われて荷物を奪われ、任務失敗してしまう。

「いいね」が現実のSNS文化に近いが、そうなると「いいね中毒」であるミュールたちは、嘘や誇張表現をSNSでしてしまう人たちに近いと言えるだろう。

 

面白いのは、ミュールを殺すと仲間に怒られることだ。

逃げるか近接格闘やゴム弾などを使って無力化させなければならなくて、実弾を使って相手を殺してしまうと仲間から怒られ、ペナルティもかなり重めなものが課せられる。

 

ポストアポカリプスの世界で、伝説の配達人に襲いかかって仕事の邪魔をする部族は、ハッキリ言って「殺されてもおかしくない」くらいひどいことをしている。他作品では現にそうなっているだろう。この作品でも対消滅は燃やせば回避できる。

 

しかし、『デス・ストランディング』においては、目的が人をつなぐことで、アメリカ再建の過程で非文化的な殺人が許容されない。人殺しでは繋がれない、ということを示唆していると感じた。

このあたり『Ultima』シリーズを想起させられた。123で敵勢力を倒す旅をするが、456で聖者アバタールとして徳を積む旅をすることになる。6ではまさに人間世界とガーゴイル世界を「つないで」完結するのだが、悪行ばかりしていると店で物を高く売りつけられたり、特定NPCが非協力的になって進行不可能になる。

現実でも、正義の人として嘘情報を広めた人を成敗していいねを集めてもダメだし、ありがとうを食べて生きていくブラック企業も、体罰する教育機関も糾弾される。ダメと判断するのはいいねを送る側であり、その多くがdislikeと感じる行為をしていても繋がれない、というわけだ。

 

主人公が人殺しばかりしていれば、カイラル通信をつないでいくうちに「あんたとは繋がれない」という人は増えていくだろう。そしてアメリカ再建の道は閉ざされる。

さて、現実の今から300年くらい前に起きた「アメリカ建国」のときはどうだったかなァ……。

 

 

 

新ジャンル「ストーリーが邪魔系ゲーム」

上の2点が私が感じたこのゲームの良いところだが、それに対してストーリーがあまり関係ない。意図的にわかりにくくしているんだろうが、ストーリーを進めていっても何かが解明されるということがほとんどない。

なんとなくビーチという概念があって、大体こんな感じの解釈だろう。この人は怪しいけど今は信じるしか無いからこのまま行こう。そもそも最初から主人公サムはストーリーに関心がない。プレイヤーはずっと配送業務に取り組んでいて、そこの人間模様やいいねや国道建設を楽しむ。ゲームは前に進んでも、ストーリーは停滞する。いつの間にか「この1分で終わるはずの内容のない会話ムービーをさっさと終わらせて、次の配送に行きたい」とばかり思っていた。

 

プレイヤーからストーリーが切り離された状態が30時間くらい続き、「唐突にネット要素が消滅して、既に来た道を左スティックを前に倒すだけを長時間強制される」「ストーリー任務と一緒にピザ配達任務を受け、目的地につくとストーリーイベントがはじまり、終わるとピザが冷めている」「なぜかタイムスリップして戦場へ飛ばされ、同じ人を3回殺すと元の世界に戻る」といった退屈で理不尽な展開にうんざりさせられつつ、ついに最終目標ポイントまで通信をつなぐことに成功する。

 

最後には一応「BBとは」みたいな決着がついてる……と思うのだが、正直「よく見てないからわからない」。私は映画見る時もスマホ見たり絶対しないのだが、人生で初めてそうせざるをえない時がきた。あまりにも長いのでスマホ見るのはやめて、『ランス01』やりはじめ、ゲームをチラ見することになった。終わったら明け方だった。

このゲームは「ゲームは一日一時間」な人には絶対におすすめできない。このムービーを細切れにして一週間くらい見続けることになる。

 

さて、この『デス・ストランディング』は、ジャンルを何とすれば適切だろうか。3Dアクションって感じではないし、シミュレーションやアドベンチャーも微妙。

最近はジャンルも細分化されてきて、作業ゲー、おつかいゲーなどネガティブな意味合いを含むものや、「EuroTruckSimulator」などに言われる仕事ゲーなど、ゲームのある側面を形容するものが適切だと思う。

ただ、この作品の一部を表す単語として「ストーリーが邪魔」ってジャンルは間違いなく当てはまると思う。

例えば『Farcry5』は野山を駆け回っていたら強制的に失神させられて、画面の8割がおじさんの顔の状態で話を聞き続けるパートが何度も訪れる。あるいは『TheEvilWithin』はアクション部分は非常に面白く演出も素晴らしいが、ストーリーは不条理でかなり最悪なものなので、そういうものも「ストーリーが邪魔」に当てはまるかもしれない。

その2タイトルを評価する際に褒めきれなくなるのと同程度、『デス・ストランディング』のストーリーは、何度もプレイの邪魔をしてきた。もっとシンプルな「アメリカ全土つないだらクリア」くらいなものだったらどんなに良かったか。余計なムービーを作るリソースで、メールを読み上げてくれたらどれだけ快適なゲーム体験ができたか。

 

 

 

おわりに

大体40時間くらい遊んだと思うが、30時間くらいまでは「評価を保留したい」という感想だった。楽しい、という感想をつけることすら嫌なくらい、これは最後までやらないとわかんないな、という期待感でいっぱいだった。遊び終わってもある程度時間が経たないとまっとうな評価なんてできないだろうな、と思いながらプレイしていた。

ところが、雪山を乗り越えたあとストーリーが佳境に入るあたりから一気に退屈になった。戦場の謎パートや会話になっていないムービーを見させられるのも嫌だったが、雪山以上の難関がないからやりごたえがなくなるという根本的な問題もある。そしてそれが何時間も続くのが本当につらかった。

 

脚本が本当にひどい。このゲームの良いところをぶち壊す程度にはひどい。同人RPGには「救済措置」が用意されていて快適にゲームを遊べるようにされているが、『デス・ストランディング』における救済措置は「ムービースキップ機能」なのかもしれない。スクリプトドクター、というと大げさだが、ゲーム体験を通じてプレイヤーがどう感じてどう気持ちを盛り上げていくか、という部分をもっと大勢で詰めてほしかった。

 

ただ、それでも「いいねを送ることに価値がある」「人とつながるために品行方正でなければならない」といった私が感じた社会批評のような思想は面白いし、非常にうまく表現されていた。

配送もやりごたえがあり、少々バグや間抜けな部分がありつつも、拠点で配送計画をしつつ装備を工夫して実践するのはめちゃくちゃ楽しかった。

 

このゲームは五つ星や100点満点で評価されるようなものではないと思う。

私は大量の「いいね」をこのゲームに送る。

FF14はじめました。SEKIROトロコン。FFシリーズ最初からやる。

久々のゲーム日記。気づいたらゲームの良くなかったとこばっか書くようになってしまっていたので止めてた。

 

FF14はじめました

MMORPG。レベル30くらい。巴術士スタート。

「どれがメインクエストかわからない」レベルの右も左もわからない状態ではじめて、とりあえず攻略wikiとか見ずにやってる。フレンドとかもなし。

「シナリオが良い」「MMOとしてレベルが高い」とかの噂を聞いてはじめたけど、今の所シナリオはふつうだし、単純なおつかいばっかだし、不親切なポイントも結構多い。その辺を人に聞いたり調べたりしてなんとかするのもMMOなんだろうなあとか感じる。

 

ただ、つまんないわけでは全然なくて、このおびただしい量のコンテンツを暗中模索してくだけで楽しいわけですよ。

目についたクエストをこなしつつ討伐手帳の敵を倒しに行って、そのついでにクエストこなすと別のとこに新しいクエストが出てきて、レベルが上ってできることが増えて、ギルドリーヴのやり方わかんなくて、新しいクラスに手出し過ぎたらペナルティあんのかなーと不安になって、……などなど。そんな風にだらだらやってるだけで、割と楽しめている。できれば目的持って進める感じにしたいけど、今はその目的を持つまでの知識がない感じ。

まぁ、もうちょっとメインクエストを優先して進めたほうが良かった、とは思うカナー。基本的にどのクエストも自分よりレベルが圧倒的に低い……。

次々に新要素が開放されてくるんだけど、全部やりたくなっちゃうね。

 

 

SEKIRO実績コンプリート

面白かった。

同社の「Bloodborne」を「アクションが面白い観光ゲーム」と表現すると、「SEKIRO」は「観光も楽しめるアクションゲーム」だと思う。

 

 

SEKIROは「難しすぎるからEASYモードをつけるべきだ」みたいなので一時期ゲーマー界隈を賑わせた。個人的には付けたいなら付けたら?くらいに思うんだけど、製作者としては絶対に付けたくないだろうなと思う。

 

というのも、雑な表現になってしまうが、ボス戦というのは

「自分の体力(a)」 > 「敵の攻撃回数(b)」 * 「ダメージを受ける確率(c)」 

であれば負けない。

そして、EASYモードというのは(a)を上げることや、(b)を減らすことを指す。HPの数値を増やしたり、回復アイテム、コンティニュー回数を増やせば(a)は増えるし、試合時間を短くするために自分のダメージ量を上げたりすれば(b)は減る。

 

一方で、SEKIROの製作者がプレイヤーに求めているのは「(c)を下げること」だと感じていて、それを目指すことこそがSEKIROの魅力だと私は思う。

(c)を下げるためには、敵の攻撃をいかに捌けるか、というプレイヤー自身のスキルが試されているわけである。

 

 

その上、SEKIROが面白いのは反射神経やコントローラ捌きだけが求められるのではなく、RTSゲームのようなまさしく「戦略」を持って挑むことが求められることにある。

多くの強いボスが出てくるが、それぞれ特徴があって、そこへの対策が用意されている。

初めて敵と相対して勝てないと思っても、相手の攻撃を見て解決策を模索する。あの攻撃は確実に避けたい、あの状況では多少の被ダメは覚悟して攻めた方が見返りは大きい、といったことを考え続け、実行に移す。すると、赤鬼には「ヒットアンドアウェイ」、火牛は「横ステップ」、弦一郎には「弾き」、獅子猿には「ダッシュ回避」、梟には「積極的な攻撃」など、刀一本で戦うための戦略を見つけだすことができる。

 

つまり、EASYモードの存在は、その魅力に到達する前にクリアできてしまうことを意味する。

これは本当にもったいない。「ボスを倒せずやめてしまう」のとどちらがもったいないかは判断つかないが、それでも諦めず、EASYモードも「攻略情報」もなしで挑戦して、そしてクリアしてほしい。下手だからクリアできない、という方は、これを期に「うまくなる感覚」を覚えてほしい。ガードボタンをカチカチするのをやめて、敵をにらみつけながら回生してほしい(?)。攻略しようとしがみつくには最高の教材だと私は思う。

 

 

 

ルルアのアトリエ

ビジュアルとかサウンドとかシナリオとか雰囲気とか、それぞれにめちゃくちゃ良いところと悪いところがあって、後から振り返ってみると全体的な印象としては中途半端だなと感じてしまった。

 

 

 

FFシリーズ1からやる予定

急に思い立って、FFを1からやることにした。15までできるかな?(たぶん途中で飽きる)。FFは7くらいしかやったことないです。序盤でやめたのは5と9と15かな。

どうせ日記に書くならあとで見返しやすいようにしたいので、後から分けて書く。とりあえず、1を終えて2の中盤くらいかな、という感じ。

FF1、ストーリーが「主人公 = プレイヤー」を前提として作られてるのが良くて、しゃべんないとかはわかるけど性別とか年齢も一切わかんないのは、却ってほーってなる。ドット絵の想像力がどうこう言われたりするが、この辺のほうがでかいだろうなと思う。

FF2は今の所「変なゲーム」という印象。斬新な取り組みをした結果下手な同人RPGより遊びにくいみたいな感じになってる。まだ判断できない。