主に「Detroit」と「スパイダーマン」の感想

 

 

Detroit: Become Human(PS4)

クリアした。面白かった、が。ががががが。

 

近年ゲームは多機種展開が当たり前みたいになっているけど、Detroitは6軸やタッチパッドを使った繊細な操作が求められるため、固定されたプレイ環境が必須だ。そしてQuanticDreamのタイトルは、その操作感も含めた演出に非常にこだわりを持っているため、PC版が出るようなことはないと思っている(PSNowはもうその辺無視されてるっぽくて……)。

つまり、自分たちの表現に並大抵ならぬ自信を持っているわけだ。

しかし一方で、Detroitは「プレイヤーの選択で物語が変化する」も売りの一つである。

プレイヤー自身で変化させられるゲームを、自分たちの表現にこだわっている人に用意させたとして、それが果たしてうまくいくだろうか? Noだ。うまくいかない。

 

例えば、組織の女アンドロイドと恋人になるんだけど、私の選択だと徹頭徹尾意見が合わなかった。

彼女は暴力を求め、主人公は非暴力を続けた。その後、主人公の指揮により組織は発展していくんだけど、非暴力の選択をするたびに、彼女の好感度は下がっていく。この流れでは、彼女と恋人になる意味がわからない。せいぜい「意見は合わないが、尊敬はしている」といった感じだろうし、そこを埋めるイベントはなかった。ここに納得できないから、ラスト辺りに「アンドロイドにも感情がある」と知らしめるキスシーンも、人間を騙しているような気持ちになってしまう。

そこで抱いてしまうのが「クリエイター側はどういう選択をしてほしかったんだろう?」という、一歩引いた冷静な感情だ。これは本当にもったいない。

 

序盤は演出も本当に良かったし、繊細なテーマが丁寧に描写されていた。おそらく後半も一定のレベルは維持していたと思う。

しかし、物語を変化させられることによって、プレイヤーの考える主人公たちの性格や役割が微妙にズレてしまった。話が進むごとにそのズレは大きくなり、クリア後に抱いた感想は「どうすればもっと感動できたんだろう?」になってしまった。

 

すると、今まで無視できていた部分までもが気になってしまう。

例えばアンドロイドが強すぎるとか。男2人はアクションヒーローだし、カーラは単なるメイドロボで暴力無理なはずなのに、武装した警官を倒せるのはおかしい。もっと言えば、そんな危険なアンドロイド組織を制圧しに突入するのが人間の兵士なのもおかしいし、そもそも人間と戦闘能力でそこまで差があるなら最初から爆破や化学兵器でなんとかするはず。現実でも人の価格が高すぎて戦争できないとか言われてるのに、アンドロイドで危険労働が減っているはずの時代に、むやみに兵器と化したアンドロイドの巣に突入するのは、絶対におかしい。

こうなると、もう最初の方の感動も含めて台無しだ。あんなに強いなら、過去に悩んだ選択も変わってたかもしれない。

 

 

若干話し変わるけど、近年めちゃくちゃ評価されたRPG「Undertale」も、この傾向がある。冒頭からFloweyに騙されること前提の進行だし、その後もあの連中を好きになれないと感動できない展開が続く。Undertaleの仕組みは、殺す殺さないの選択肢を持っているからこそ悩めることにあるが、私は彼らを好きになれなかったし、「殺したいとも思えなかった」ので、あのゲームをイマイチ楽しめなかった。

あと、某VTuberのUndertale実況動画でめちゃくちゃ印象的なコメントがあった。それは「他の実況者は不殺目指しちゃうんで、好きに殺してくれて面白かった」といったものだ。

要は、たいていの実況プレイヤーはUndertaleを「誰も殺さなくていいRPG」と知ってプレイするし、虐殺ルートの存在もなんとなく知っている人が多いのだろう。あのゲームの一番ネタバレしちゃいけない部分を知り、そこを汲み取ってからゲームをはじめている。

DetroitもUndertaleも、製作者の求める「正しい感じ方」が用意されていて、そこに乗れない人は弾かれていく。だから多くの実況者はその「正しい感じ方」に沿ってプレイし、視聴者もその「正しい感じ方」をする実況者に共感する。

こういうのって悲しいなと思うとともに、どうしようもないんだろうなと思う。ポリティカル・コレクトネスが叫ばれるのは、マイノリティに配慮すべきだからではなく、「マイノリティに配慮すべき」というマジョリティに配慮すべきという、まさに政治的・社会的な理由があるからだ。マジョリティが評価する感じ方に合致したゲームが売れるし、その感じ方に自分を合わせたほうが楽しめてしまう。

よくわかんなくなってきたので終了。まぁ名作だし面白いと思いますよ。

 

 

 

スパイダーマン(PS4)

とてもたのしい。

爽快な街移動を短時間のミッションで挟むことでずっとやっちゃうタイプのゲームだと思う。

ファストトラベルしないほうが楽しい、って感想は、FF15でも抱いたが、これは自分を納得させるための感想ではない。もっと移動時間を楽しみたいという動機からきている。

 

ただ不満点が多いのも事実。ミニゲームがつまらないとか、時間を使うだけのイベントとか、腹ばい時の判定が微妙とか。

クリアしてミッションをこなしているんだけど、難しいと感じる部分ってほとんど「思ったように動かせない」ってのが理由なんよな。フォーカスが微妙なせいで、ちょっとした視線変更で間違ったところに飛んでしまうとか、強力な敵やタレットをすぐに排除したいのに全然フォーカスしてくれないとか。

クリアだけなら大して困らないとはいえ、ゲームの都合を意識させられるポイントが多いのは良くない。思ったように動かせないのもそうだし、鳩を見つけてからなぜかしばらくは捕まえられないとか、自由に飛び回ってたら「ミッション圏外です」と怒られるとか、秘密の写真が何を狙ったものなのかわからない(インスタ映え的なやつ?)とか、そういうのは冷めちゃうカナー。

 

ここからは作業と感じるようになってきた辺りまでやったので、終了。「もういいんです」という感じ。2周めもやらないし、DLCもたぶん買わない。楽しかったよ。

 

 

 

Farcry3(PC)

Farcry5を再プレイしようとしたが、いつの間にかSteam版に日本語がきていたので3に着手。クリアした。

結局のところFarcryってのは、「大自然を駆け回って、敵拠点を占拠していくのを、メインシナリオが邪魔する」ってシリーズなんだろうな。うん。

今4を少しやってるが、だいたいそんな感じだし、オートセーブが基本的にシナリオに従ってる感じなので、遠いとこまで行って偶然死んだら相当前からやり直すハメになる。

5のメインシナリオの凶悪なまでの邪魔感はすごいけど、それでも駆け回る快楽は圧倒的なので、5が一番オススメできる。あと3と4はオートエイムのレベル低いカナー。昔のゲームだしねー。まぁ舞台で選んでも良い。次回作はヨーロッパなんかどうすか。

 

 

 

月に寄り添う乙女の作法(PSVita)

元エロゲのノベルゲー。チマチマ進めてて、2人目の途中。

スクリプトがめちゃくちゃ良質で素晴らしい。読んでて「ん?」となるとこほとんどない。きちんと手間ひまかけて丁寧に作られているのがわかって、信頼して読み進めることができる。

お嬢様に従者の2人が4組計8人で話すシーンが多いんだけど、その雑談がとても気持ちいい。何か特定の話題があって、まるでヒップホップのフリースタイルみたいに誰かが言ったことを他の誰かのキャラに即した発言に変化し、それにまた返してというのが続いていき、登場人物間で話がコロコロしていくのが、本当に心地良い。飛び抜けた何かというより、盤石な体制に裏付けられた安心感ある感じ。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

2ヶ月近くぶりの日記。

最近は完全に精神的にも肉体的にもダメだな……。ゲームの感想もダメなところを多く書いてしまっている。うーうー。