『デス・ストランディング』クリア後感想

 

「いいね」を稼ぐ仕事ゲーム

『デス・ストランディング』は作業ゲーでもお使いゲーでもなく、仕事ゲーだと思う。

淡々と連打してプレイすれば失敗するし、ただクエストを進めるためにものを運ぶゲームではない。行程を見て事前準備をして、悪路や危険区域を避けたり乗り越えたりしながらものを運び、報酬をもらうゲームだ。

特徴的なのは、この世界の報酬とは通貨や物資ではなく「いいね」である点だ。

 

お金といいねの違いは、有限か無限かにある。

お金は限られているため、自分がお金を動かす取引するときに価値を判断する必要がある。正当な対価を得られないなら1円も払わないのが「賢い人」だし、価値のないものにお金を使うのは「バカなやつ」として扱われる。だからみんな小利口になって、損することを非常に恐れている。

でも、いいねは違う。

軽い気持ちで「いいね」というポジティブな感情を相手に送ることができるし、それも1つではなく自分がクリックした数だけ相手に送ることができる。とても助かったから30いいね送ることもできるが、たまたま手が空いていたから50いいね送ったのかもしれないし、逆にありがとうという気持ちはあっても忙しくて1いいねしか送れないかもしれない。

そんなフワフワした数字はお金と違って価値を表していない。しかし大切なのは、送った自分がどう感じるかという部分だ。その1いいねが正当なものであるかは関係なく、いいねを送りたいから、好きなだけ送ることができる。

 

つまり、お金は稼ぐことに価値があるが、いいねは送ることに価値がある。

 

誰かが建ててくれた橋で川を渡ることができた。一緒に物資を集めてつくった国道を走る。その誰かのおかげで、自分が仕事を終わらせることができた。誰かに褒められるためにやったわけじゃない。しかし、ものを届けると「ありがとう」と言って褒めてくれる人がいる。自分が建てたいから建てた橋や発電機を利用して、いいねを送ってくれた人がいる。

たったそれだけのことではあるが、その積み重ねで土地が豊かになっていくのがハッキリと見える。

この心が満たされる感覚は、デス・ストランディング特有のものだった。

 

 

 

悪人に対しても品行方正を求められる現代

「ミュール」という敵がでてくる。彼らは元は主人公と同じ配送員だったが、いいねが欲しくてたまらないがために中毒になってしまい、「人の荷物を奪ってまでいいねを求める」というギャング集団のような存在だ。配送をしているうちに彼らの集落に近寄ってしまうと、彼らに襲われて荷物を奪われ、任務失敗してしまう。

「いいね」が現実のSNS文化に近いが、そうなると「いいね中毒」であるミュールたちは、嘘や誇張表現をSNSでしてしまう人たちに近いと言えるだろう。

 

面白いのは、ミュールを殺すと仲間に怒られることだ。

逃げるか近接格闘やゴム弾などを使って無力化させなければならなくて、実弾を使って相手を殺してしまうと仲間から怒られ、ペナルティもかなり重めなものが課せられる。

 

ポストアポカリプスの世界で、伝説の配達人に襲いかかって仕事の邪魔をする部族は、ハッキリ言って「殺されてもおかしくない」くらいひどいことをしている。他作品では現にそうなっているだろう。この作品でも対消滅は燃やせば回避できる。

 

しかし、『デス・ストランディング』においては、目的が人をつなぐことで、アメリカ再建の過程で非文化的な殺人が許容されない。人殺しでは繋がれない、ということを示唆していると感じた。

このあたり『Ultima』シリーズを想起させられた。123で敵勢力を倒す旅をするが、456で聖者アバタールとして徳を積む旅をすることになる。6ではまさに人間世界とガーゴイル世界を「つないで」完結するのだが、悪行ばかりしていると店で物を高く売りつけられたり、特定NPCが非協力的になって進行不可能になる。

現実でも、正義の人として嘘情報を広めた人を成敗していいねを集めてもダメだし、ありがとうを食べて生きていくブラック企業も、体罰する教育機関も糾弾される。ダメと判断するのはいいねを送る側であり、その多くがdislikeと感じる行為をしていても繋がれない、というわけだ。

 

主人公が人殺しばかりしていれば、カイラル通信をつないでいくうちに「あんたとは繋がれない」という人は増えていくだろう。そしてアメリカ再建の道は閉ざされる。

さて、現実の今から300年くらい前に起きた「アメリカ建国」のときはどうだったかなァ……。

 

 

 

新ジャンル「ストーリーが邪魔系ゲーム」

上の2点が私が感じたこのゲームの良いところだが、それに対してストーリーがあまり関係ない。意図的にわかりにくくしているんだろうが、ストーリーを進めていっても何かが解明されるということがほとんどない。

なんとなくビーチという概念があって、大体こんな感じの解釈だろう。この人は怪しいけど今は信じるしか無いからこのまま行こう。そもそも最初から主人公サムはストーリーに関心がない。プレイヤーはずっと配送業務に取り組んでいて、そこの人間模様やいいねや国道建設を楽しむ。ゲームは前に進んでも、ストーリーは停滞する。いつの間にか「この1分で終わるはずの内容のない会話ムービーをさっさと終わらせて、次の配送に行きたい」とばかり思っていた。

 

プレイヤーからストーリーが切り離された状態が30時間くらい続き、「唐突にネット要素が消滅して、既に来た道を左スティックを前に倒すだけを長時間強制される」「ストーリー任務と一緒にピザ配達任務を受け、目的地につくとストーリーイベントがはじまり、終わるとピザが冷めている」「なぜかタイムスリップして戦場へ飛ばされ、同じ人を3回殺すと元の世界に戻る」といった退屈で理不尽な展開にうんざりさせられつつ、ついに最終目標ポイントまで通信をつなぐことに成功する。

 

最後には一応「BBとは」みたいな決着がついてる……と思うのだが、正直「よく見てないからわからない」。私は映画見る時もスマホ見たり絶対しないのだが、人生で初めてそうせざるをえない時がきた。あまりにも長いのでスマホ見るのはやめて、『ランス01』やりはじめ、ゲームをチラ見することになった。終わったら明け方だった。

このゲームは「ゲームは一日一時間」な人には絶対におすすめできない。このムービーを細切れにして一週間くらい見続けることになる。

 

さて、この『デス・ストランディング』は、ジャンルを何とすれば適切だろうか。3Dアクションって感じではないし、シミュレーションやアドベンチャーも微妙。

最近はジャンルも細分化されてきて、作業ゲー、おつかいゲーなどネガティブな意味合いを含むものや、「EuroTruckSimulator」などに言われる仕事ゲーなど、ゲームのある側面を形容するものが適切だと思う。

ただ、この作品の一部を表す単語として「ストーリーが邪魔」ってジャンルは間違いなく当てはまると思う。

例えば『Farcry5』は野山を駆け回っていたら強制的に失神させられて、画面の8割がおじさんの顔の状態で話を聞き続けるパートが何度も訪れる。あるいは『TheEvilWithin』はアクション部分は非常に面白く演出も素晴らしいが、ストーリーは不条理でかなり最悪なものなので、そういうものも「ストーリーが邪魔」に当てはまるかもしれない。

その2タイトルを評価する際に褒めきれなくなるのと同程度、『デス・ストランディング』のストーリーは、何度もプレイの邪魔をしてきた。もっとシンプルな「アメリカ全土つないだらクリア」くらいなものだったらどんなに良かったか。余計なムービーを作るリソースで、メールを読み上げてくれたらどれだけ快適なゲーム体験ができたか。

 

 

 

おわりに

大体40時間くらい遊んだと思うが、30時間くらいまでは「評価を保留したい」という感想だった。楽しい、という感想をつけることすら嫌なくらい、これは最後までやらないとわかんないな、という期待感でいっぱいだった。遊び終わってもある程度時間が経たないとまっとうな評価なんてできないだろうな、と思いながらプレイしていた。

ところが、雪山を乗り越えたあとストーリーが佳境に入るあたりから一気に退屈になった。戦場の謎パートや会話になっていないムービーを見させられるのも嫌だったが、雪山以上の難関がないからやりごたえがなくなるという根本的な問題もある。そしてそれが何時間も続くのが本当につらかった。

 

脚本が本当にひどい。このゲームの良いところをぶち壊す程度にはひどい。同人RPGには「救済措置」が用意されていて快適にゲームを遊べるようにされているが、『デス・ストランディング』における救済措置は「ムービースキップ機能」なのかもしれない。スクリプトドクター、というと大げさだが、ゲーム体験を通じてプレイヤーがどう感じてどう気持ちを盛り上げていくか、という部分をもっと大勢で詰めてほしかった。

 

ただ、それでも「いいねを送ることに価値がある」「人とつながるために品行方正でなければならない」といった私が感じた社会批評のような思想は面白いし、非常にうまく表現されていた。

配送もやりごたえがあり、少々バグや間抜けな部分がありつつも、拠点で配送計画をしつつ装備を工夫して実践するのはめちゃくちゃ楽しかった。

 

このゲームは五つ星や100点満点で評価されるようなものではないと思う。

私は大量の「いいね」をこのゲームに送る。